椅子……それは落ち着く居場所であり、心の規律に対する忠誠であり、生活の根底に必要なゆとりであり、机に向かって学ぶのに必要な道具である。
とか言われる事もあるようだが、そんなことはまったくどうでもいい。
そのまんまの意味で椅子がほしい!
いま、ローテーブルに座椅子というかぎりなく床に近い姿勢でPCに向かっているのだが、長時間座り続けるとつらい。そんなのは気のせいだと言い聞かせてきたが、うすうすリアルにつらい。猫背をとおりこしてネコになってしまう。
実は、こっちに来た当初、唯一自分で金出して買った(※あとの家具はおおかた拾ってきた)デスク+チェアセットがある。のを思い出した。
なぜか封印していたのだが、コレを使えばいいじゃないか!
引っ張り出してきてさらに思い出した。
ホムセンで2980円(セットで)という価格だったため、椅子のクオリティが小学校の椅子よりもひどくて、座面は狭いわ座面は硬いわ座面は痛いわで尻に支障が出るから使わなくなってしまったのだった。ひどすぎて座布団でどうにかできる代物ではない。
結論:椅子を買おう
先に言うがこの話にオチはない。なぜならまだ買っていないからだ。
だが今度こそ、マトモなやつを買わねばならん。使えない椅子はただの鈍器だ。
検索した。
IKEAがどうの言ったが、なんかいろいろと違ったからスルーした。
というかなんというか、オフィスチェアかPCチェアで探すと
十中八九回るのは何故だ。回らなくていいんだ。狭いんだからキャスターがあっても旅に出たりできない。そして回らない椅子で探すと、途端にくつろぎのオーラが全開になるのは何故だ。リビングで使うんでしょ、オサレで重厚でほっこりでしょ、みたいになる。椅子にほっこりとか求めてないのだ。もくもくと仕事をしてくれてさせてくれる、そういうなんでもない椅子がいいのに。
そこで冒頭に戻る。
椅子とは落ち着くry忠誠でryゆとりでryあり道具である、ということを無視して選ぶと、そこに残るのは「椅子はどれでも椅子である」というギリギリかつ寛大すぎる理論だ。それでいくと、今のひっどい椅子でもいいということになってしまう。
なんということでしょう。←今ここ
そしてこれを書いているわけだ、ようするに椅子選びつかれました。
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