しし座流星群みえなかったね…
けっこう夜更かししたのに…
おかげで今日はボンヤリしてますよ。いつもですけど。
でもすぐ次があるぞ!この時期といえばふたご座流星群、12月上旬から見え始め、14日夜に極大を迎え、ピークを過ぎると一気に流星の数が減る傾向にあります。だけど当日は満月過ぎの月があるため条件はあまりよくありません。
てどっかに書いてた(パクリました)。
というわけで、今年のふたご座様は見にくいらしい。しぬほど残念です。
(`・ω・´) <そこで!
流星があまり見えなくてもがっかりしないようにいい遊び方を(きのう)考えましたので、よいこのみなさんに教えてあげます!
まず、夜空をじーーーーっと見つめます。
基本的には「流れ星を探すんだ!」というスタンスを忘れないように。これは『いつの間にか感』とか『無意識感』みたいなものが重要なのです。
ちらちらとまたたく星達をじーっと見つめていると、
名前はわからなくても、なんだか気になる星が出現するはずです。
そうしたら、
――あの星はなんていうんだろう…。
というモードに入ります。
――ああ、懐かしいな。
でもいいです。
――故郷が見える。この星に生まれる前、わたしはあそこにいた。現在の人間のように重い肉体はなかった。重力の強い星だったので、肉体をもつことが難しかったのだ。わたしは、わたしたちは、鉱物の粒を内包した空気の塊のような姿をしていて、手足も声も持たなかった。生きていたとは思うが、生命であったかどうかはわたしにも分からない。わたしたちはいつも頼りなく漂っていて、互いが雲のように形を変え、混ざりあって交信することで、生きていると思っていた。わたしは彼であり、彼女であった。星に生きていたわたしたち全体が「わたしたち」であった。
わたしたちの最期はあっけなく、誰かが――わたしが――宇宙へ出て行く術を見つけた時に、すべての歴史が終わった。彼方にきらめく星々に憧れ、重力に逆らって飛び出した先で、わたしたちは「わたしたち」の形を失い、行くことも戻ることもできずに迷子になった。そして膨らみ続ける宇宙に沿って引き裂かれ、散り散りになった。鬱陶しいとばかり思っていた重力が、わたしたちをつくっていたとは誰も――わたしも――気付いていなかったのである。わたしたちが重力から逃げ出すことは、わたしたち自身を放棄することと同じだったのに。
地球の生命体にははっきりとした形がある。それゆえ、「個である」ことに固執するが、それは誤りだ。わたしたちはどの星においても「わたしたち」である、わたしが言うのだから間違いない。流星群を仰ぎながら、同じ重力に包まれて生きていることの意味を考えてみてほしい。「わたしたち」のような末路をたどることのないように。
とかいうことを考えます(真顔で)。
別にこの設定でなくても、ブラックホールに吸われたその後の記憶とかでもなんでもいいです。『いつの間にかよみがえった遠い日の記憶にひたる感』が、この遊びのキモです。
――いつの日か帰りたい。(ここまで来たらゴール)
できない?
そんなはずはない、思い出してごらん。
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