――変電所を見に来ています。
真夜中の変電所では、ぱりぱりと電気の流れる音が聞こえるのを、あなたは知っていますか?無数の送電線の始まりである「1号」の鉄塔が、すべてが寝静まる時間にもひそかに運動を続け、巨大な電流をその内から放ち続けています。
「1号」を監視し保護するため、厳重に金網で囲まれたその場所はまるで刑務所のようであり、動物園のようでもあり、水槽のようでもあります。沢山の「1号」たちは何も言わず、囲みの中でじっと直立しています。ぱりぱり、じりじりと、人にはわからない言葉で話をしているのかもしれません。
何年か前、僕は、管理人と、管理人の管理人、の話を書きました。
管理人は小さなアパートの部屋で、水槽に入った『宇宙』を毎日毎日……いつからなのか忘れるほど前から、見守ってきました。それが彼の仕事でした。そこへある日「管理人の管理人」がやってきます。管理人の仕事ぶりを組織の上のほうへ報告するため、管理人に会いに来たのです。
二人はほかに何もない部屋で『宇宙』を挟んでぽつぽつ言葉を交わすうち、距離を縮めてゆきます。会話のほとんどは忘れてしまいましたが、「管理人の管理人」はある時、管理人に訊きます。
――あなたは寂しいの?
わりと唐突な台詞です。管理人の返答も忘れてしまいましたが、確か、二回訊きます。
管理人は一匹の犬のことを気にかけていました。あの有名なライカ犬です。自分が『宇宙』を手放したら、孤独に死んだ犬のこと、ちりになった宇宙飛行士のこと、遠ざかる衛星のこと……彼らを覚えているものがいなくなるから、自分はこの部屋を出られない。そう言い続けていました。彼らの寂しさを引き受ける自らの寂しさが、管理人を実感として生かしていたのです。
「管理人の管理人」は言います、そんなのはかなしい。ほんとうは管理人にもわかっていました、ドアの外にはいくつかの違う生き方があって、それを選んでも誰も彼を咎めないということを。
今思えば、ずいぶん悲しい話でした。なぜそんな話を書いたのかといえば、僕もライカ犬のことをたびたび思い出していたからです。
僕は物心ついたときから、寂しいひとが好きでした。悲しみをはらんだものに惹かれました。理由ははっきりしません。ただ、僕にとって生きることは悲しいことです。「生きていると悲しいことがある」のではなく、生きることそのものが、大きな悲しみです。ひとりきり宇宙へ飛んだ黒い犬は、身勝手ながら、どうしようもなく僕の同志のような気がしてならなかったのです。
最後、小さな水槽を守ることを自身の存在意義のすべてとしてきた管理人が、部屋を出る決意をします。きっかけは些細なことだったはずです。カプセルの中で息絶えたライカ犬とは違い、管理人はいつでも外へ出られると知っていたのですから。
そして、そうとは計れないような簡単な言葉で、自然な動作でドアを開けます。そうしたかったのは僕だったのかもしれません。
僕は二人のその後については何も書きませんでした。だから、置き去りにされた『宇宙』がどうなったか、今でも自分で考えることがあります。
水槽を叩き割ったことにすれば良かった、でないと、犬は永遠に冷たいカプセルの中だ……。
巨大なエネルギーを、狭い囲みの中で静かにめぐらせる「1号」たちの終の居場所、それは小さな部屋の小さな水槽に閉じこめた『宇宙』に少し似ています。
僕の代わりに「1号」たちが夜空へ手を伸ばし続けていて、僕はやはり、寂しい犬のことを忘れられそうにありません。
――真夜中の変電所で、僕はそういうことを思うのです。

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