これを書いたら(まず寝たらいい)。
ごいんぐネタ続きでアレですがー、
しかもエフモトさんの記事見て知ったのですがー、
よういっさんが脱退をメンバーに伝えたのは4/6のことだったみたいですね。
…………。
最近じゃねーか!!!!!!
「推測はしない」と前回書いたばっかりなんですが、ちょっとだけ。
あくまで私の個人的考察なので、そんなの読みたくないモン!なかたはスル〜で!
6日って!と最初はびびびっくりしたんだけど、
ナカザの日記のとおり、本当によういっさんは6日に、突然に「やめる」って言ったんだと思う。
なんか、逆にちょっとモヤモヤが晴れたかも。
モヤモヤの最大の理由はやっぱり「なんで言ってくれなかったのさ…」にあるもんな。
というか、GOINGっていうバンドが、メンバーのひとりがやめると言ったのを伏せたままツアー……ってのがいちばん納得いかなかったとこなので、突然の事態だったと言われたほうが納得できるな。
よういっさんの決断には、GOINGの次の展開が未定、というのが根本にあった気がする。
(ツアー後のソロプロジェクト自体は決まっていたことみたいだし)
バンドとしての予定は未定。そしてメンバーはそれぞれにやってみたいことがある。
でもよういっさんには、もしかしたらGOINGを離れてまで『いち音楽家としてやってみたいこと』がさほど思いつかなかったのかもしれない。GOINGのことはとても大切だけれど、いち個人としての自分は、音楽家としてこの先の人生をずっと歩んでいくべきか?と、とても真剣に考え出したのかも。
ツアーを回りながら(またはアルバム作成時から)気持ちは少しずつ固まっていって、あのグリー日記のころには完全に心が決まっていた。『今日、伝えたいと思いました』と書かれてたので、決心はかなり早い段階でついていたんじゃないかな。
でもせっかくのレコ発ツアーだし、メンバーやお客さんが湿っぽくなるのはよういっさん的に本意ではなかった(多くのファンは『言ってほしかった』と思っているけど)。全会場が仙台のよう(;ω;`)になるのは、自分のバンドの性質や、付き合いの長い友達でもあるメンバーのことを考えればかんたんに想像できた。だから、本来のツアーファイナルだった札幌が終わるまではと黙っていた。
でも追加公演の前にメンバーには話しておこうと切り出したのが4/6だった。
そして話し合い。突然のことに混乱があったと思う。何で今の今まで言わないんだと誰か怒ったりしたかも。でもひとりのバンドマンが、本業のツアー中に固めた気持ちだったらよっぽどだろう。昔のようにただの友達同士だったら違ったかもしれないけど、今のGOINGは進み続けるから、よういっさんの決断をバンドの決断とする。
ツアーを円満に終わらすため、よういっさん的には野音が終わってからの発表を希望したかもしれない。
でもそこは周りが『決めたのなら、あと2つだけでも公演が残ってるうちに発表したほうがいい。ひとりでも多くのファンがよういっさんを見送れるようにするべきだよ』と言ったりしたんじゃないかなー…と想像。
だからドタバタでも発表した。野音直前、覚悟がいったと思う。
って完全に憶測ですよ!!!(しかも少しじゃないし)
だけど思うのは、もしかして、彼の背中を一番強く押したのはラッキースターというアルバムではなかったのかな、ということ。バンド10年やって、ラッキースターという素晴らしいアルバムが完成して、家族が増えて、そしたら、どうしても『僕も行かなくちゃ』って思ったのかもね。
そう考えたら(本当ならばの話ですが)、4/6からわずか一週間で、よくあのライブができたなって思う。
よく鳴らしたと思う。絶対に揺るがないことを5人で決めていたんだと思う。
野音に期待する。
ほんではおやすみなさい。夢のようにねむい!
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