思っていることをそのまま書くであります。
まず、そういう知らせのたびに「は?嘘?」ていう感想が一番先に立つから↓も、うそだーと書いてありますが、そんな誤報が全国レベルで流れるわけもないので、うそじゃないのはニュースを確認した時点でわかってるんですけどね。でも、あちこちの書き込みでも「嘘だ」「信じられない」がダントツに多かった。そらそうだ。信じられない。嘘じゃなくても信じられないもん。呆然とするだけでした。
直接の友達とかの話ではないから、公式のコメントを待つしかないし、まして葬儀(…もしや今頃)に立ち会うわけでもないので、いつまでたっても実感がわかないまんま「ああ、あの人はもういないんだよなぁ…」とじわじわ思うことしか、こっちが事実を事実として、嘘ではないと信じる方法がない。ので、信じらんねーよ!という気持ちのまま、ひとりでにけっこうな時間が流れていく。
ボスのこともアベのことも同じで、「亡くなった」とはわかってるけどまだ実感がない。ていうか実感てなんぞや。わかってるのは、どんなミラクルが起きてももう二度と会えることはない、ということのみ。
新聞のお悔やみ欄を見ると、わりと、みなさんそれなりに長生きして亡くなっている。その中に20代とか、たまに一桁の方が混じっているのを見かけると「まだ若いのにな」と思ってしまうのは普通なんだと思う。29歳は、死ぬにはまだ若い。しかもこないだまでピンピンしてたのに。びっくりした。
同年代の自分は今日もまだ生きていて、85歳のおばあちゃんもまだ生きている。
でも志村はなんでか死んでしまった。なんでだ。アベの時も書いたけど、死因とか物理的理由の「何故」ではなくて、ただただ「なんでだ」というなんでだ。ちょっと志村。なんでだ。
寿命とか運命って言葉があるけど、そういうことなのか、そういうことだよな、と思うしかないんだな。志村は12月24日に亡くなることになってた。いやいや、なんでだ。
こっからはちょっと想像が混ざるけど、
なんかまだ、志村は自分が死んだことに気づいてなさそうな(笑)
スタジオの隅とかでポケーと突っ立って「みんなおはよう!……アレ?」みたいになってんじゃないかと思う。「ギターが持てないぞ?」とか、マンガオバケみたいなベタな行動してるんじゃないかという気がして仕方がない。志村だから。UFOの軌道に乗って以下略かもしれない。
いつもどっか、変態なわりには向こう側の透けて見えそうな、半分空気でできてるみたいな奇妙な存在感の人だったよね。だから意外と、本来の居場所に戻っていったのでは、とか、「死んだ」って言葉が似合わないなーーー、と思う。
死んでしまったけど。
『東京の空の星は見えないと聞かされていたけど 見えないこともないんだな』
というフレーズを、会社帰りに、たまーに、たまーーに思い出していた。
こっちに来て星の見えなさにマジでずいぶん驚いたので、「いやいや見えねーよ!」とよく心の中でツッコんでいた。ウソつけ志村、東京では星は見えんぞ。マジで。
でも冬になって、晴れ続きのこないだ、オリオン座が絵に描いたごとくきらきらしていたので、またふと『東京の空の星は……』を思い出して、「あ、見えないこともなかった」と思った。無責任でいいなラララ〜♪と歌いながら帰った。坂道だから超疲れた。スマン志村、見えないこともなかった。
きのう、仕事も本当の意味でおさめて(泣)、でもまだまだどこでも行くのだ、止まってる場合じゃない、これからこれから、と気分を新たにしていたとこだった。フジはまだ四枚しかアルバム出してない。志村だって、他の三人だって、これからこれからだった。はず。
フジファブリックというバンドの続きがもうないことが、まだ信じられないけど切ない。
訃報を知ってすぐ、(さすがに動揺のあまり)mixiの書き込みをひたすら見ていった。
やっぱりみんな「信じられない」と書いてた。ちょっと時間がたって、夜中にまた見た。
誰か嘘って言って!!というのをいくつも見た。
でもその後も、嘘だろとかありがとうとかの言葉がループしていくだけだった。だって嘘じゃないんだもん。
コロニーで超至近距離で若干直視できなくて半笑いで見たよな〜とか、大不評すぎた金髪とか、別れた彼女の留守電エピソードキモかったよな〜とかカラオケで歌ったよな〜〜〜とか思い出した。
その志村が死んじゃったんだってさ。
なんだそりゃ、と思ったら突然泣けた。
悲しいとか残念とかじゃなくて、なんだそりゃ、と思って泣いた。自分でも驚くぐらいにどわーーーーっと泣いた。おいおい志村、そりゃないよ。フジどうすんだよ。死ぬなよ。悲しいとかじゃないって書いといてアレだけど、後追いで猛烈に悲しくなった。大号泣した。悲しいから泣くけど泣いても生き返らないけどみんな書いてたけど「嘘でした☆」とかないのはわかってるけど、死なないでほしかった。
けさ(昼だったけど)目が覚めて、あ、夢じゃなかった……と思った。
目が覚めたということは、今日も私は生きていて、でも志村正彦はもうこの世にはいない。
で、志村はなんで死んだんだろう。わかりません。考えてもしょうがないことだ。でも考えちゃう。
不思議なことだ。それで私はとっとと彼の歳を越えていく。たぶんだけど。
生と死の分岐はいつ誰が決めるんだろう。
本当はいつでも足元に転がっている生と死を分岐するスイッチを、なんで忘れたまま生活できるんだろう。みんな暮れには当たり前にカレンダーを買うけど、それはこの先の時間を疑わず「予定」を生きるためで、でもなんで疑わないんだろう。生き物はそういうふうにできてるんだろうか。不思議なことだ。
おーい志村。悲しいよ。
せめて、そっちでも元気で……って言うのかわかんないけど、安らかに。
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