アラバキ組のみなさんお疲れ様です!ほ、本当に…お疲れ様です……(涙)
で、久しぶりの習作シリ〜ズ! 第3弾?(忘れんな)
ちょっと乗っかりすぎた。反省してる。
しかし載せる、あえて(倒置法)
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世界のまん中 飛行機雲、サイダー、コンバース、しめじ、フルーツのど飴。
それがこの部屋のすべてで、僕とクージのすべてだった。
クージが出ていくと言った理由はわからない。でもクージの意志はかたく、僕はただ、わかった、と言うしかなかった。本当なら、引き留める言葉のひとつやふたつ、出てもよさそうだった。僕が嫌いか、とか、どうして、とか。だけどひとつも出なかった。かと言ってもちろん、いいよとも言えなかった。
クージは僕が黙っているあいだにさっさと自分の荷物をまとめ、着ない服を処分しはじめた。クージが捨てた服の中には、少し前に終わったばかりの冬のはじめに買ったコートもあった。大人びた黒いコートだ。
「それ、また冬になったら着るんじゃないの?」
着ないよ、とクージは答えた。もう着ない、似合わないから。
「もったいない」
クージは何も言わなかった。
空港から飛び立ったジャンボジェットが、窓ガラスの対角線上をきれいに横切った。
クージと出会ったのは三年前の夏で、自動販売機の前だった。
僕がお茶を買ったそのあと、後ろから声がした。
——当たってる!
「え?」
振り向いたら、黄色いTシャツのクージが立っていて、販売機を指さしていた。その先を見たら、商品ボタンのランプが全点灯して、チカチカしていた。僕は「当たってる」の意味をそこでやっと理解したが、もう販売機からは十五歩離れてしまっていた。だからとっさに、押して、と黄色いTシャツに向かって声を出した。
「好きなのでいいよ。あげる」
僕の言葉にクージは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに販売機に向き直って、青い缶のところのボタンを押した。あとから聞いたが、別にそれがよかったわけではなくて、適当に押したらそれだったらしい。天然水サイダーと書かれた青い缶は、今でもこの部屋の台所に箸立てのかわりに置いてある。
クージは靴も一足捨てようとした。ベージュのコンバース。それはさすがにボロボロだったから、捨ててしまってもいいと僕も思った。だけど、思い直してやめた。靴が二足しかないから、捨てたら履き替えるものがないという理由で。コートは捨てるのにスニーカーは捨てないのが、僕にはなんだか嬉しかった。
片付けを進めるうち、お腹がすいたとクージが言い出したので、昼食にパスタを作った。クージは好き嫌いが多いうえにあまり食べないけれど、僕の作るきのこのパスタだけは大好きだと言ってよく食べた。今日も、よく食べた。
小さな食卓でクージと向き合った僕は、なぜ出ていくのかと、はじめて訊いた。
食後のお茶が注がれた若草色のカップを、いつも必要以上の力で握りしめる手。見慣れたその手がふと緩んで、クージはひとこと、
「はじまったから」
と言った。
「何が?」
僕の質問には、クージは答えなかった。それでもぽつりと、寂しいね、と呟いた。
夕方。突然にはじまったクージの荷造りは突然に終わり、中くらいのボストンバッグの口をぐいぐいと閉めながら、今夜眠って起きたら、出ていくからとクージは告げた。
どこかから来たジャンボジェットが、空港へ下りようとしていた。オレンジの空がきれいだった。
夜になった。クージと僕はいつものように、くだらないテレビを見たり雑誌をめくったりして過ごした。クージが出ていくということがどういうことなのか、まだちっともわからなかった。僕らは互いが好きで、この部屋が好きで、それでいいと思っていた。困った事は何もなかったし、この先もないと信じていた。それはクージも同じだと思う。少なくとも、何かが「はじまった」、その前までは。
……はじまったということは、終わりがあったということだ。僕は考えた。
何が、いつ、どうして終わった?
販売機の前で出会った時だろうか。僕がコンバースの靴ひもをプレゼントした時だろうか。クージがにんじんを食べないせいでケンカした時だろうか。ふたりで意味もなく落ち込んだ、いつかの長い雨の日だろうか。はじめてキスをした時だろうか。
全部、それでよかったじゃないか、と思う。全部それでよかった。何ひとつ、しなくていいことも、起こらなければよかったことも、ない。それなのに、それでいいと思うことは間違っているのだろうか。
暗闇の中、すぐ隣で眠っているクージの顔を目を凝らして眺める。クージの目の横には乾きかけの涙のあとがあって、僕ははっとする。クージがいつ涙を流したのかわからなかった。なぜ涙を流したのかも、わからなかった。ふと、昼間、クージがうつむいて口にした、寂しいね、という言葉を思い出す。あれが嘘だなんて思わない。疑うどころか、僕には確信できる。クージは寂しいのだ。僕と離れることが。この部屋を出ていくことが。
そうだ。クージはずっと寂しかったのかもしれない。
僕らが幸福のなかに立ち止まっているだけで、どこへも進めないことが。何も捨てないですむ時間が無音のまま続くことが。永遠に笑っていられる気がするのに、それでもなお、終わってゆくことが。
小さな世界の終わりを、クージは知っていて、僕は知らないふりをしていた。いつまでも知らないふりを続ける僕を、クージは見ていられなくなった。僕もまた、終わりを知っているクージをまっすぐに見つめることが、いつからかできなくなった。僕らは互いが好きで、この部屋が好きで、それゆえにできなくなった。
僕らは終わっていたのかもしれない。
気がついていなかっただけで、僕らはもう、ずっと前に終わっていたのかもしれない。
朝になった。クージは腫れた目を隠すようにずっとニコニコしていて、僕もその笑顔につられて笑っていた。僕はクージの笑った顔がとても好きだ。こんな時でも。
玄関に立ったクージの荷物に、にぎやかなパッケージの飴を袋ごと突っ込んだ。よく風邪をひくクージが、スースーして辛いのど飴は嫌だというから、買い置いていたものだ。
クージと過ごしてきた時間が、すごくすごく長かったなとも思ったし、ほんの何日かのことのようにも思えた。夢から醒めたようにも、まだ夢の中のようにも思えた。だけど僕がクージを見送らなければならないのは事実で、クージはもう靴を履いている。別れるということはこの瞬間に起こるのではなくて、きっとクージがいなくなってから少しずつはじまるのだろうと思った。
そうか、と僕は思う。僕はいま終わり、そしてやっと「はじまる」のだ。
「元気で」
僕は小さく告げた。ほかに何も言いようがなかった。
ありがとう。クージは笑った。重たいドアが開いて朝日が差し込む。ボロボロのスニーカーが外へ踏み出していく。クージは一度だけ、振り向いた。笑いながら、泣いていた。
ねえクージ、きみの笑った顔がほんとうに好きだったよ、と僕は言った。
出会ってから初めて、言った。
#世界のまん中/GOING UNDER GROUND
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